今回は映画の感想になります。
ブログの趣旨とは異なってしまうかもしれませんので、興味のないかたは、スルーでお願いします。
多少のネタバレを含みますので、避けたい方はブラウザバックをお願いします。

とはいえ、このブログの裏テーマ「より良く生きる」という部分について、関連する内容かな、と思って、書くことをお許しください。
きっかけは、久々に妻とふたりで出かけることになったので、最近映画見てないよね、ということで
「なんかすごい人気だし、見ておこうかな」
それくらいの気持ちでした。
俳優の吉沢亮さんが出ているくらいの知識しかなく、テーマが何かもあまりはっきりと知らないままでした。
それが逆によかったのかもしれません。
任侠から歌舞伎へ
序盤では新年会で、主人公喜久雄の父が亡くなるシーン。可愛らしい主人公とは裏腹にめちゃくちゃ極道でしたね。
いきなりクライマックスがきた!と思いながら映画の中にのめり込んでいきました。
父が亡くなる瞬間の喜久雄の表情が、漢の生き様を目に焼き付けるような、なんとも言えない表情だったことが印象的でした。
そこから、引き取り手のなかった喜久雄は、宴席にいた歌舞伎役者の花井半二郎に見そめられ、歌舞伎の世界へ。
そこには同い年の俊介が跡取りとして、歌舞伎役者の道を歩んでいました。
そこからの修行も過酷で痛々しい場面もありましたが、充実した表情。
身寄りもなく、芸に日常を捧げることが、唯一の居場所なんだな、と。また、同じく芸に励む俊介と一緒の時間を過ごせることが、ひとつの癒しになっているのだろうな、と感じました。
その後、人間国宝の万菊さんとの出会い、歌舞伎を見て、熱が入っていくところも印象的でした。
ほとんどセリフがないのに、あんなに迫力のある、恐ろしさを感じる演技、思わず唾をのみこむほど。
一番この映画で印象に残っているのは万菊さんかもしれません。
そして、意外と幼少期のころの出来事もしっかりと書かれていて、どんどんと歌舞伎にのめり込んでいく場面がしっかりと描かれていたので、丁寧だなと感じましたね。
狂い出す歯車 血の呪い
物語の中盤、順風満帆に見えた喜久雄と俊介でしたが、ある出来事をきっかけに二人の人生が大きく変わっていきます。
半二郎が、実の息子の俊介よりも、喜久雄の方を取るんですね。
このときの半二郎の気持ちも、俊介の気持ちも、喜久雄の気持ちも痛いほど感じてしまって、思わずうるっときてしまきました。
血筋があるのに選ばれなかったむなしさ、絶望感
血筋がないのに選ばれてしまった申し訳なさ、重圧
実の息子だからこそ、あえて厳しく接する親心
そして、代役を務める際に、「お前の血がほしい」と喜久雄が俊介に言うシーン。
後に出てくる、親がないのは首から上がないのと同じ
という言葉も含めて
この世界での「血」の重要さが伺い知れますよね。
私には何か「血」というものはありませんので、その呪いのような重圧の強さ、それに縛られることの自由のなさ、というのは想像することしかできませんが、
俊介にとっては今までの人生全てを否定されたような衝撃だったのではないか、と思います。
そんな中でも、それを喜久雄に全てぶつけることなく、支える側に回ったこと
そして、実際に演じる姿を見て、血筋以上の実力差を肌で感じたこと
完全に俊介は「負け」てしまうわけです。
それを見たヒロインの春江は、俊介の側に立つんですよね。
今まで喜久雄一筋だった人が、です。
歌舞伎において、一番になれなかった者と
愛する人の一番になれなかった者と
惹かれあう部分があったのだろう、と感じました。
それより前のシーンで、「私はきくちゃんのいちばんの贔屓になる」と春江が喜久雄にも伝えた通り、喜久雄が一番の歌舞伎役者になるために、私がここにいてはいけない、と分かっていたのではないでしょうか。
もしくは、自分が俊介と喜久雄の架け橋であり続けられる、と思ったか。
そのあたりは語られていないのでわからない部分にはなりますが。
いやあ、現実にもままあることですよね。
好きな人同士がくっつかないという。その相手が自分の一番ライバルだった人とくっつくわけですから、喜久雄からすると相当に複雑な心境だったと思います。
次に印象的なシーンとしては、悪魔との取引。
喜久雄がある神社?で悪魔と取引した、と娘(隠し子)の綾乃に話すシーン。
そこまで冷たいシーンには映りませんでしたが、この言葉がきっかけに、またさらに物語が動きました。
喜久雄が三代目を、半二郎が白虎を襲名する公演の際、半二郎が「血」を吐いて倒れます。
その時に俊介の名前を呼ぶ半二郎。父親として俊介を諦めていなかった、喜久雄が一番ではなかったことがわかる瞬間です。
歌舞伎役者としての後ろ盾がなくなっただけでなく、襲名してもなお「血の呪い」からは逃れられなかったことが分かってしまう絶望感が、画面越しにでも伝わってくるように感じました。
そして、それを何か声をかけるでもなく、じっと見つめる万菊さんの顔が悪魔のように冷たかったのです。
喜久雄と俊介 盛衰を分かつ二人の人生
後ろ盾を無くした喜久雄はどんどんと転落していきます。半二郎の名前とは裏腹に、モブ役しか与えられない日々。
役欲しさに、梨園の娘に手を出します。
このシーンはとんでもなく悪い顔をしていましたね。悪魔にひとつ捧げるような、そんな雰囲気でした。
これはすぐにバレてしまい、結果的に喜久雄はその娘の彰子?と駆け落ちのような形に。
出ていく!という彰子の顔とは裏腹に、終わった…という絶望感のある喜久雄の顔が印象的でした。
結果的に三代目半二郎の名を汚し、歌舞伎の舞台からも遠ざかることに。
ドサ周りの日々ですが、なかなかうまくいきません。
やっぱりこういう、一時の迷いというのは誰しもあるものです。
役が欲しいという気持ちからの行動だと思いますが、裏目に出てしまう。グッと胸が締め付けられます。
それとは対照的に、春江と結婚して持ち直した俊介は、「丹波屋」一門を復活させます。
紆余曲折はあったのでしょうが、「血筋」がものをいいますね。
自分が愛した春江と歌舞伎のどちらにも恵まれた俊介と、愛にも役にも恵まれない喜久雄の対比が、辛さをいっそう際立てていました。
繋がる縁 巡る恩
ある日、万菊さんが喜久雄を呼び出します。
引退してしばらく経った後だと思いますが、人間国宝と呼ばれた人が、最期はボロ屋で床に臥せっていました。
ですが、最後に喜久雄を呼んだのは、芸を残したかったからなのでしょう。床で舞っている姿には、まだ役者としての炎は残っているように感じました。
ここから、すごいなと感じたのが俊介の優しさ。
親父を看取ってくれた恩やずっと2人で高め合ってきた関係などがあったからでしょう。
いつか歌舞伎の世界に連れ戻したる、と宣言したことを有言実行でやってのけました。
もちろん、俊介だけの力ではないですが、喜久雄の存在、居場所を認めるひとりとして、重要な役割を占めているな、と感じます。
喜久雄の実力を認めているからこそ、手を差し伸べずにはいられなかったのでしょう。
ここで、血のつながりではなく、縁や恩のつながりで人生が好転していくこともある、ということを実感します。
やっぱり、血筋や生まれ、だけでなく環境やそれまでの関係によって人生は大きく変わるものだな、というのは実際の生活でも感じられることですよね。
病と別れ 失い続けて得るものは
そんな順風満帆のような生活も長くは続きませんでした。
俊介は「血統」により糖尿病を発症。程なくして、片足を切断することに。
奇しくも父と同じ糖尿病。血筋によって復活した俊介を血筋が襲うことになります。
喜久雄は、ようやく得た自分の居場所をまた失いそうになってしまうんですね。
親を、師匠を、名前も地位も、そして戦友すらも失いそうになる喜久雄。
恵まれなさがこれでもかと強調されていきます。
そんな中、俊介は片足を切断してもなお、「曽根崎心中」をやりたいと。もう一本の足がダメになるまでにやりたいといいます。
それは、喜久雄が三代目となるきっかけとなった演目。愛する2人が森の中で心中するお話。
その問答のシーンは、たびたび映画の中でも出てきます。
ああ、俊介はここで歌舞伎と心中するのだと。
愛する喜久雄と最後の別れをするのだと。
最後にこの演出はニクイなあ、と思いながら、涙なしには見れないシーンですね。
人間国宝へ
そしてついに、喜久雄は国宝へと登り詰めます。
愛する人も、戦友も、何もかも失ってもなお、芸を磨き続けた先に待っていたのが「国宝」でした。
インタビューでは「これまで順風満帆」という表現をされていましたが、世間ってそういうものですよね。
スーパースターであっても、画面の中の人であり、その苦労は誰も知らないもの。
それに対して「皆さんのおかげ」とさらっと言うところ
また、カメラマンになった娘の綾乃に「忘れてへんよ」と言うところ。
穏やかな表情でありながら、何かが欠けているような、不思議な雰囲気でした。
そして、最後、国宝になって初めての舞台が「鷺娘」。あの万菊さんが演じていたものです。
もちろん喜久雄も何度も演じていたと思いますが、映画の中では初披露。
その雪景色の中で舞う喜久雄が最後、「綺麗やなあ」というシーンがラストになります。
全てを削ぎ落として、芸に命を懸けた先に見えたもの、それが喜久雄の求めていた景色だった、という結末だと思います。
命を懸けることの美しさ
ひとつのことを極めるのが、これほどまでに犠牲を払わなければならないのか、という衝撃、また、その美しさを映画として表現してくれた、俳優の方々。
歌舞伎役者の物語でありながら、まさに俳優さんたちが日常で行っていることの凄さをまざまざと見せつけられた、そんな感覚でした。
自分の人生を振り返ったときに、ここまで何かに懸けてきたことがあるだろうか、と情けなくなるくらいの感動でした。
人は「自分が見たい景色」を追い求めている
この映画を見ながら、人はやっぱり人生の中で、なにか自分が見たい景色を追いかけているものなんだなあ、と感じていました。
喜久雄は歌舞伎の芸としての美しさの境地を
俊介は日本一の歌舞伎役者になりたいという夢を
春江は喜久雄の一番の贔屓でありたいという想いを
俊介の父(白虎)と母は一人前の役者になった俊介を
万菊は、自分の芸を継ぐ者を
それぞれの見たい景色があり、みんなそれぞれ、追い求めているのだと、そう感じました。
私自身も洋服に熱を注いでいるのも、自分が思う「格好いい」姿になるためですし、
ブログを書いているのも、その過程を誰かに知ってほしいからです。
もちろん、熱量は全く違いますし、その道のプロになりたい、というのでもありませんから、全くアテにならない思いかもしれません。
ですが、少しだけ、そのような世界に到達した時の達成感、孤独感、そのようなものを感じることができたような気がしています。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回は、映画国宝について、感想を書いてきました。
あまりに久々に映画を見たからか、衝撃的すぎて、せっかくならブログに今の気持ちを書き留めておこう、と思い立ったのが運の尽きでした。
結局いつもの記事の倍以上の分量を書いてしまいました…
ですが、本当に綺麗で圧倒されっぱなしの3時間でした。
自分もこれから普段の生活はもちろん、
自分が幸せだと感じられるように、クラシックスタイルをより極めていきたいですし、ブログも続けていきたい、という活力になる映画だったと感じています。
1度しか観ておらず、原作も読んでいないので、時系列がバラバラになったりしているかもしれません。もしそうであればすみません。
ぜひまだ未視聴の方は、機会があれば観てみてください。
以上です。ありがとうございました。